美加保(丸) MIKAHO(MARU)
Data:木造帆船パーク(輸送船)/推進:帆走/トン数:800t/長さ:29間/幅:5間半/1865年プロシア(のちのドイツ)船を徳川幕府が長崎で購入/プロシア名:ブランデンブルグ

1865年(慶応元年)徳川幕府が長崎へ回航されていたプロシアの帆船「ブランデンブルク」を35,000ドルで購入。美加保(丸)と命名された。国内最大クラスの輸送船。徳川幕府艦隊・輸送船の中核となる。

大政奉還・江戸城開城後の慶応4年(1868年)8月19日。榎本武揚率いる旧徳川艦隊は、抗戦派旧幕臣らをのせ、江戸湾を脱出。

帆走の美加保丸は機帆船の軍艦に曳航され(開陽か回天と思われる)艦隊に同行。北上したが、8月21日館山沖で暴風雨に遭い、黒生(くりはえ)海岸で座礁沈没。

箱根の戦いで片腕を失った旧幕府遊撃隊士・伊庭八郎は、美加保丸に乗船していたが、座礁後、一時江戸で潜伏ののち、北上して抗戦派と合流している。


美加穂のお宝

徳川幕府が大坂城に所蔵していた18万両と密文書・宝物を、鳥羽伏見の戦いの後、榎本武揚が江戸・品川沖まで富士山丸で秘かに運び出したと言われている。これらが美加穂に移されていたとする説もある。

昭和になって船体を引き揚げ調査されたが、積荷は見つかっていない。