観 光(丸)
Data:木造機帆軍艦(スクーナー)/推進:外輪車・帆走/全長:29間/幅:5間/馬力:150馬力(機関航行時)/武装:砲6門/1852年オランダ・アルステルダムで建造・オランダでの艦名「スンピン(またはスームピン:インドネシアの島名)

  日本が開国前まで貿易を独占していたオランダは、以後も貿易を有利に進めるため、徳川幕府に寄贈した木造機帆外輪軍艦。

 幕府はオランダに新船建造を打診していたが、露土戦争(ロシアとトルコの戦争)で中立を表明していたオランダは、当時の外交慣例上軍艦の新造が出来ないため、長崎海軍伝習所に貸出していた警備艦「スンピン(スームピン)」を安政二年(1855年)を、オランダ国王名で幕府に寄贈。「観光(丸)」(旅行の観光じゃありません)と命名された。

 長崎海軍伝習所で観光丸は幕臣だけでなく諸藩の家臣の教育にも使用された。のちに長崎での伝習は打ち切られ、江戸・築地の海軍教授所が設けられると観光丸も移動。その後肥前・佐賀藩に3年間訓練のため賃貸されている。慶応元年(1865年)には神戸繰練所がひらかれ練習艦となる。一時日米通商条約使節護衛に内定したが、船体の老朽ヶ所が見つかり、はずされる。

 明治元年、朝廷・新政府に恭順した徳川家はその意志表示のため観光を引き渡す。以後の活躍はほとんどなく石川島に繋留され明治9年解体。華々しい戦歴はないものの、幕府・諸藩の海軍育成に貢献した。
 復元船が幕末の時代劇によく使われている。