回 天(KAITEN)
Data:木造機帆コルベット/推進:外輪車・帆走/トン数1678t/長さ:230フィート/幅:34.3フィート/馬力:400馬力(機関航行時)/速力:12ノット(機関航行時)/武装:56斤砲12門・旋回砲7門/1855年(安政二年)プロシアで建造/プロシア時代の艦名「ダンチッヒ」イギリス仮名「イーグル」
元はプロシア(現ドイツ)の軍艦「ダンチッヒ」。イギリスで設計・機関を製造。ダンチッヒ市で船体が建造された。

1863年ごろイギリスに売却されたといわれている。その後イギリスで修理改装し「イーグル」と命名され日本へ売り込むため長崎へ回航。

慶応二年(1866年)幕府が購入し「回天」と命名される。以後、蟠竜とともに幕府海軍の中核を担う。

慶応4年(1868年)榎本率いる徳川艦隊と共に函館に向かう。開陽丸が沈没した戦力の低下を挽回するため、明治2年(1869年)3月20日、宮古湾に集結する官軍の軍艦を奪取する作戦のため蟠竜丸・高雄と出港。23日に嵐に遭い3艦は散り散りになり、結局24日早朝に回天一艦で軍艦「甲鉄」奪取に接近して白兵戦を行うことになる。

しかし回天の上甲板が甲鉄の上甲板より3メートも高い為乗り込みに手間取り、艦長:甲賀源吾を始め多くの戦死者を出して失敗。

明治2年(1869年)、函館での新政府艦隊と戦いでは、5月7日に函館湾内で機関部に被弾し稼動不能状態に。

その後も浮砲台として戦ったが、弾が尽き乗員は退艦。その後官軍の攻撃によって破壊された。その残骸は函館湾にしばらく放置されていたという。


函館湾で放置されていた回天の残骸


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