富士山(丸)(徳川幕府→政府軍、のち日本海軍軍艦「富士山(丸)」)


Data:木造機帆軍艦・フリゲート/推進:蒸気レシプロ・スクリュ−1軸・帆走/出力:350馬力/トン数:1000t/長さ:63m/幅:10.3m/速力:13ノット/武装:6.3インチ前装砲1門・5.9インチ砲2門・小砲10門・他/1865年アメリカ・ニューヨークで徳川幕府が購入/アメリカ仮名:フジヤマ

徳川幕府は海軍力増強のためアメリカに軍艦建造を打診した。しかし南北戦争中でため断られ、オランダに開陽丸建造を発注。

南北戦争が終わった元治元年(1864)。幕府は軍艦購入に幕臣・小野友五郎をアメリカへ派遣。24万ドルでフリゲート艦を発注・購入。

慶応2年(1866)2月20日横浜に到着(慶応元年説あり)。幕府艦隊に編入され富士山(丸)と命名される。

慶応3年(1867)10月、徳川幕府は大政を奉還。



慶応4年(1868)1月2日に起こった鳥羽・伏見の戦いの頃、摂津兵庫港(現神戸港)の警備に就いていた富士山は1月7日、新政府軍に敗れた旧幕臣らを収容して大阪を出港。兵庫、由良(和歌山)に寄港後、15日江戸へ到着。

徳川家は恭順し、新政府との取り決めで、富士山丸、朝陽丸、翔鶴丸、観光丸などが新政府軍へ引き渡される。

政府軍軍艦「富士山」となった後は、維新戦争に従軍。政府軍支援と佐幕勢力掃討の任につき、9月18日清水港で咸臨丸を攻撃・捕獲等を行う(詳細:咸臨丸の項参照)。

明治4年(1871)海軍兵学校練習艦となる。
明治9年(1876)10月、機関を撤去。
明治13年(1880)1月繋泊練習艦となる。
明治18年(1885)12月、運用術練習艦へ。
明治22年(1889)5月除籍。呉鎮守府海兵団所属。9月10日雑役船へ
明治27年(1894)売却。


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