第一丁卯(丸)DAIICHI-TEIBOU(佐賀藩、のちの日本海軍・第一丁卯) |
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Data:木造機帆軍艦(砲艦)/推進:スクリュー1軸・帆走/トン数125t/長さ:40.5m/幅:6.3m/馬力:60馬力/速力:5.0ノット/武装/1868年(慶応2年)イギリスで建造/イギリス原名「ベンダ」 |
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長州藩がイギリスで建造した軍艦。丁卯には第一丁卯と第二丁卯の二隻が存在している。 慶応二年(1866年)にイギリスで建造され明治元年(1868年)に日本へ回航され「第一丁卯丸」と命名。維新戦争に従事。 |
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第一丁卯は新政府軍・山県有朋の要請を受け、越後方面へで出動。対する奥羽越列藩同盟も榎本艦隊(旧幕府艦隊)へ出動要請を出し、順動丸一隻を派遣されている。 慶応四年5月24日、新政府艦隊は寺泊港に順動丸が停泊中との通報を受けて乾行丸と第一丁卯丸が出動。 順動丸は2隻が日の丸旗(幕府艦隊旗)を掲げていた事から、味方と勘違いして出迎え出航を行った。乾行丸と第一丁卯丸側は、順動丸が脱出しようとしている見て、乾行丸と、第一丁卯は挟撃。 順動丸は二隻が敵である事に気が付いて反撃するも、命中弾を受け、不利を悟って浅瀬に乗り上げて座礁。2隻は拿捕を試みるが、順動丸は爆発して破砕。 7月25日。新発田藩が内応し、摂津・第一丁卯・千別(柳河藩)・大鵬・錫懐・万年などの諸艦を動員して大夫浜付近に上陸。奥羽越列藩同盟軍の補給線を絶った。 さらに同盟軍側の新潟港へ進撃。第一丁卯丸も艦砲射撃をおこない、陸兵を援護して新潟港を占領。補給を絶たたれた北越での奥羽越列藩同盟の敗北を決定的なものとした。 その後、函館では榎本(旧幕府)艦隊と戦っている。 明治3年(1870年)3月、日本海軍に編入。第一丁卯となる。明治8年(1875年)8月9日、北海道択捉島沖で密漁取締中(測量中との説もあり)に座礁沈没。 |
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