乾行 KENKOU(薩摩藩→日本海軍軍艦・乾行)
Data:木造機帆砲艦/推進:スクリュー・帆走/トン数約477総t(160純トン)/長さ:160フィート/幅:25.4フィート/馬力:160馬力/速力:6ノット/武装:備砲6門/1854年イギリス・リバプール・グラックウォールで一等砲艦として建造、1863年海外へ売却/イギリスでの原名「ビーグル」。売却時に「ストーク」と改名。
幕府に対抗して海軍力増強を計る薩摩藩が元治元年(1864年)7月23日、長崎で75、000ドルで最初に購入したイギリス軍艦。
購入後「乾行」と命名される。明治維新の戦いでは機関の故障のため、さしたる活躍はできなかった。
明治3年日本海軍軍艦「乾行」となり、明治13年廃船。明治21年品川の緒明造船所で解体された。
イギリス軍艦時代にクリミア戦争(1854〜55)に参加したといわれ、購入時には船体に当時の弾痕を残していたとされて、乗員は誇りにしていたという。
イギリス時代の艦名が「ビーグル」であったため、進化論で有名な「チャールズ・ダーウィン」(1809〜82)が乗船し、探検をおこなった軍艦「ビーグル」であると長い間言われてきた。
ダーウィンの探検は1831年〜36年。乾行購入の30年あまり前である。 日本が幕末当時、海外から買い付けた洋式軍艦・船舶は中古船が多かったが、艦齢10年を越えるものは少なく、艦のサイズもダーウィン乗船時のビーグルとは異なる。さらにダーウィン探検当時の純帆走軍艦に、蒸気機関を装備するのも無理がある。
イギリスでは艦名を受け継ぐ習慣があったため、ダーウィンを知る日本人が、「この艦は進化論で有名な、かのダーウィンが乗船したビーグルである・・・・!」と知らせたのが誤解の原因かも知れない。
後の調査資料によると、ダーウィンが乗船したビーグルは初代。乾行となったビーグルは4代目にあたる。この4代目ビーグル(乾行)は、イギリス国会報告書の記録によると、55,500ポンドで民間へ売却。そこから先の売却先は記録消失のため不明。
一説ではイギリスから香港の商会を経由して長崎に回航。「ストーク」と名付けて売りに出さたといわれている。
ダーウィン乗艦の初代ビーグルは1820年建造され、1870年に540ポンド売却されている。
初代艦も寿命の長い艦である。これも4代目を初代と間違う要因だったかもしれない。
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