春 日(KASUGA)(薩摩藩)(のちの日本海軍軍艦「春日」)
 
Data:木造機帆軍艦/推進:外輪車・帆走/トン数約1050t/長さ:214.6フィート/幅:29フィート/馬力:300馬力(公称・機関航行時)/速力:16ノット(平均:機関航行時)/武装:新造時・68ポンド砲:2門/薩摩藩購入当時:100ポンド後装砲:1門・40ポンド砲:4門(両舷側各)2門・12ポンド砲:2門/1863年(文久三年)イギリス:ウェスト・カウスのジョン・ホワイト造船所で建造/イギリス艦名:「キャンスー」(通報艦)



薩摩藩がイギリスから慶応三年(1867年)買い入れた木造機帆軍艦。

公武合体から倒幕の流れに傾いた薩摩藩は、長州と同盟し朝廷からの倒幕の密勅を拝していたが、薩摩の海軍力は幕府に比べ弱く、戦力になる軍艦は少なかった。

そこで長崎に外国船の売物が入港中である情報を得て、軍賦役で船奉行の松方正義などが長崎の商人から六万両を借り入れて同年11月3日に購入した。

この艦はイギリスが中国沿岸の勢力圏治安維持のため組織された英支艦隊が、1863年にイギリス:ウェスト・カウス:ジョン・ホワイト造船所で建造された通報艦である。

フェザリング型の特殊な外輪車を装備し、建造当時は世界最高速艦として知られていた。イギリスでの試験航行では最高18.462ノットを記録している。

船体は均整のとれた3檣2煙突の船体で、まだ帆走にも重点をおいた軍艦が中心の時代に、艦首にパウスプリットのない直立式艦首は日本初登場のものであった。

薩摩軍艦「春日」となり徳川幕府の大政奉還後は、新政府軍艦(官軍)として慶応四年(1868年)、兵庫港から阿波沖にかけて幕府海軍の新鋭艦・開陽丸と砲戦を展開している。

随行していた輸送船・翔鳳丸が自沈に追い込められたが、春日はその速力を活かして振り切っている(阿波沖海戦)。その後北越・北海道など維新戦争に転戦。兵員・物資輸送・砲撃などをおこなった。

明治三年(1870年)日本海軍軍艦「春日」として編入、明治二七年除籍。対馬水雷団付属船となり明治三一年に解体された。

維新戦争の頃この艦には西郷従道(西郷隆盛の弟)や東郷平八郎(日露戦争の艦隊司令長官)のなども乗船していた。

函館戦争時の武 装
100ポンド後装砲:1門・60ポンド砲:4門(両舷側各2門)・12ポンド砲:2門(または1門)

※軍艦「富士山」装備の60ポンド砲と搭載の40ポンド砲を交換して装備

※60ポンド2番砲担当者:東郷平八郎(当時:三等士官)


明治一九年頃の武装:30ポンド砲 1門:長8サンチクルップ砲:4門
6ポンドアームストロング砲:2門・機砲:2門